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コピーするためにShiftキーを押すのは単純な操作だが、この操作をするときには、コンピュータユーザーは自分が不正なことをしていると自覚せざるを得ない、と同氏は説明する。それだけでも、多くの人はコピーするのを思いとどまるだろうと同氏は付け加えた。妥協点をさぐっているというところだろうか。
ゆとり教育による学力低下の問題は、アメリカでも深刻である。Scientific Method in Practice11章の教育のところでもアメリカの教育問題が論じられている。その授業のときにIthaca Timesで見たアメリカ学生の学力低下の記事を配った上で、日本でも同じような問題がある、と説明した。
_ その授業に呼ばれた教育学部の先生は、本の中ではconstructivismが批判されているけれど、罪の面もあるかもしれないが功の面もある、という主張をしていた。ゆとり教育とconstructivismは厳密には違うのだろうが、正確な理解の下に実行されないconstructivismは、結果的に悪い意味でのゆとり教育となってしまうのであろう。このあたりは、本格的に教育論を勉強しないと分からないけれど。
_ 孔子の「学んで思はざれば則ち罔く、思うて学ばざれば則ち殆し」を紹介して、どちらが欠けても良くない、というような主張もしてみたっけ。
若獅子に「遊びに行くの?」といわれてしまった。たしかに、旅行だと遊びにいくみたいだよなぁ。「出張伺い」という名前の方がいいような気がする。
なんだかずいぶんと責められているようだけど、結果的に、週刊ダイヤモンドの記事に坂村先生の考えを正確に伝えていないことがあった、という点が浮き彫りになった、ということはいいことだと思う。悪いことばかりではなかったと私は思います。そう思う人もいるよ、ということで。
_ 坂村先生にしてみても、自分の知らないところで書かれていた週刊誌の記事について、訂正をする機会を得たことは、決して100%迷惑とも言い切れないと思う。自分の意見とは違うことが自分の意見として伝わることは、決して気持ちいいものではないだろうから。
意外と知られていないんだな。
これもまたあちこちでみかけるようになってきた。一つ一つに突っ込む気はしないけど、「全てが真実というわけではありません」と書くくらいならば、「これは明らかな事実、これは聞いた話、これは私の推測」と書き分けるべきではなかろうか。そうしないと、文章そのものをまったく読む気がしない。
_ まあ、もともとが多くの人に読んでもらおうと思って書いた文章ではないようだが。
「あの論文どうなった?」というメールを送ってみた。修論と卒論でクロッギング関係の実験をはじめようとしている、ということも書いておいた。
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