移転先: http://seki.sblo.jp/
今年は筑波研究所めぐり。昨日、今日と2日かけて、農業工学研究所、農業環境技術研究所、国際農林水産業研究センター、国立環境研究所をまわった。
今年もまた、Jobsの基調講演を見ることにしよう。
_ Tiger の次は Leopard かよ。今回は詳しい話はしていないけど、2006年末から2007年初頭出荷の予定らしい。
_ 噂の通り、PowerPCからIntelチップへの移行が最大のポイントのようだ。2006年6月までに Intel チップ搭載のMacを出荷開始し、2007年6月までに移行を完了する予定とのこと。まず、OSについては、Mac OS X は、これまでの5年間ずっと PowerPC と Intel でクロスコンパイルされていた、とのこと。ただし、アプリを Intel に対応させる必要がある。Widget, Script, Java はそのまま動く。Xcode で作成されたCocoa, Carbon アプリは再コンパイルが必要、MetrowerksのCarbonはXcodeへの移行が必要。新しくリリースされる Xcode 2.1 では、PowerPC と Intel の両方で動く Universal Binary を作ることができる。さらに、Rosetta というエミュレータが用意されていて、PowerPC バイナリーを Intel 上でそのまま動かすことができる、とのこと。
いよいよ日本でiTMSが開始するか、と思いきや、アップルのコメントとしてはアップル、iTMSの国内開始報道に対して「取材を受けた事実ない」とのこと。交渉を進めている段階らしい。
すばらしい。インタビューの宮本主将の「負けることに慣れていない」という言葉が、強さの自信の裏返しで、なんだか逆にかっこよく聞こえた。どこかで使ってみたい言葉だ。
だいぶ前に読んで、感銘を受けた文章。なんだか、最近ことあるごとに、このセリフを思い出す機会が多くなってきたので引用してみた。こういう声は、社会の大勢に負けて、今後ますます聞こえなくなってくるのだろうか。今の、声の大きな意見は、「社会のニーズに答えた大学を」だけれども、それは「社会のニーズに答えた人間・研究を生産する工場」になることじゃない?大学は本当にそれでいいの?それなら企業で経済主義でもできるんじゃないの?どうして大学が必要なの?
むしろ、「社会のニーズに惑わされない、良心に基づいた人間・学問をつちかう環境」であるべきなんじゃないの?(その上、本当に「社会のニーズ」に答えられるのかどうかすら怪しい。何か、山を切り崩し海を埋めて全てを畑にしようという考え、牛は乳房だけあればよい、木は実のなる枝だけ残して全部切る、と言った考えが台頭していると思うんだけど?)
久しぶりにのぞいてみたら、いつの間にか日本語対応、というかユニコード化されていたようだ。プロフィール、コミュニティー、スクラップブック等で、日本語を使うことができる。
5、中原 誠副会長とあって、あくまでも対局者は各紙の発表通り熊坂学四段と長岡裕也四段、ということなのか。だとすると、連盟ページの表は、対局者が4局目までは「試験官」の欄に、5局目以降は「助手及び観戦記」の欄に書かれていることになり、とても分かりにくい。もっとも、試験官として「2人の直接対局も考えられる」とあるから、まだその点は決まってないということなのか。ううむ。なんだか分かりにくいな。
ここからは会長・副会長の二人が勝敗の立会いと同時に面接も兼ねる。ただし、二人の直接対局も考えられる。
門下生の熊坂学四段を対局者として代打。観戦記を兼ねて判定する。
6、米長邦雄会長
最終判定者。門下生の長岡裕也四段を対局者として代打。観戦記も含めて『将棋世界』紙上で最終結論を発表する。
_ 中原、米長が面接をして、対局者は代打を出す、だけど、やっぱり直接対局するかもしれない、などとまどろっこしいことをしないで、対局するならばする、しないならばしない、自分たちは「対局者」なのか「観戦+面接」なのかどちらかをはじめからはっきりさせておく、という態度の方がいいのでないのかなぁ。要するに、誰が対局するか、ということをみんな知りたいわけなのだから。
瀬川さんが3勝目をあげて合格するか、4敗目を喫して不合格となった時点で試験は終了。ただし、最終局にもつれ込み、2勝4敗となった場合について、連盟の米長邦雄会長は「理事会が将棋の内容などを判断し、合格させることもあり得る」と語った。といったあたりも、曖昧さを残すな。将棋の内容を判断して決めることができるのであれば、今までの瀬川さんの将棋の内容を判断して決めることもできるはず。そんなことで決まる世界でないからこそ、対局の成績で結果を決める試験をするのではなかったのか?
_ けっこう面白い人選をしているだけに、曖昧さが残っているところが残念。
ふむ。一通り動画を見た感想。「将棋世界」の連載とネット配信で盛り上げて、お祭り騒ぎにしよう、という計画は、たしかに米長が会長でなければ実現しなかったかもしれない。2chあたりであれこれと騒いでいるといった反応も含めて、なによりも、米長が一番楽しんでいるように見受けられる。「腹黒い(失礼)政治家」と「祭り好きな少年」の両面を持っている米長は、「将棋連盟会長」という職業はかなりはまっているな。
毎年、論文を選んで卒論生が編集してテキストを作成しているのだけど、今年は背表紙にAAで「キター」とか入っていてびっくり。こういうのが当たり前になってくると、次は卒論発表会、そして学会発表会、といったところで当たり前のように使われるようになってくるのだろうか。
瀬川さんのプロ入り試験を通して、将棋連盟では今後アマのプロ入りについて検討をしていくとのこと。そこで思うのだけど、アマがプロ入りするといっても、現状ではプロ入りしたからといって即座に安定した収入が得られるわけではない。だとすれば、現在持っている仕事を続けたままでプロ入りする、という道をつくるのはどうだろうか。つまり、フリークラスを「兼業棋士」としての位置づけとして確定させてしまう。これならば、プロ入りするアマの側にとっても、プロ入りした棋士を養う連盟の側にとっても、双方ともに負担が少ないと思われる。「仕事をやめないとプロにはなれない」というのでは、仕事をやめる本人にとっても、その人を今後養っていく連盟にとっても、負担が大きすぎる。負担が大きい方法は長続きしない。
_ 会社によっては、プロ棋士となった社員を会社としてバックアップする、ということもあるかもしれない。その社員が活躍すれば、会社の宣伝になるわけだから。
_ チェスの世界では、本業を他に持っていて、なおかつ世界的なプレーヤー、というのはいくらでもある話なので、将棋でもそういった棋士が出てきておかしくない。そういった兼業フリークラス棋士の中で、タイトル戦で活躍するような棋士があらわれたら、その棋士がそのまま兼業として続けていくか、将棋一本にしぼるかは、本人が判断すればいい。
_ 問題は「会社をやめないで本当にプロ棋士としての活動ができるか?」ということだけど、これは会社にもよるだろう。有給の範囲で活動するのか、それとも宣伝要員として、会社としてある程度棋戦参加を認めるのか。全棋戦参加は無理でも、棋戦を選んで参加すれば、ある程度の活動は可能だろう。
TrackBack をする場合には、相手サイトにリンクをする、そして言及をするというのは、ある種の常識というか、プロトコルみたいなものだと理解していたのだけど、一連のやりとりの中でこういう感じのページをみると、なんだかトラックバックについてはまったく別の文化圏、すなわち「言及+リンクしないのが当たり前」という文化圏ができているようだ。このページでは、多くのページから言及無しのトラックバックを受けていて、さらにそのトラックバック元のサイトを見ると、多くのトラックバックを受けている。そこでは、そもそも「言及しない」「リンクしない」ことが当たり前になっている。
_ また、だからこそ「お返しトラックバック」などという風習が生まれるものと考えられる。本来のトラックバックの風習のように、言及+リンクした上でトラックバックされた場合には、そのサイトに対して、お返しで空のトラックバックを返すことはまったく意味がないけれど、リンクしないことが前提となってしまうと、今度は「トラックバックを受けたサイトから、自分のサイトへのリンクがない」わけなので、トラックバックをこちらがお返しとして送る、という構造になっているようだ。つまり、「言及しないトラックバック」と「お返しトラックバック」がセットになって、1つの文化になっているようだ。
_ 本屋には、ブログの本があふれているけど、そういった本の中には、まずはアフィリエイトの説明があって、さらにアクセスを増やすためにはトラックバック、といった説明になっていて、そこには言及が必要とかなんとか、本来の意味が解説されていないケースもままあるようだ。このままだと日本では「言及しないトラックバックが当たり前」といった文化が優勢になるやもしれない。
_ そもそものTrackback specificationにたちかえってみると、リソースAからリソースBへのトラックバックが本質的に意味することは、"resource A is related/linked to resource B." つまり「リソースAからリソースBに関連づけている/リンクしている」ことである。この related の解釈を広くとって、「言及やリンクがなくても、内容的に関連があれば related である」と考えることができるだろうか、という話になるだろう。ただ、ブログにおけるトラックバックの例示の中では、「ブロガーBは、自分のポストを参照しているサイトの一覧をトラックバックによって知ることができる」とあり、参照する(reference)ことを前提としている書き方となっている。やはり、ブログであれば、本文中に相手先のサイトを参照することで、どのように related されているかを明示的に示すことが、specification に則ったトラックバックの運用法と思われる。
_ まとめると、トラックバックの解釈には
_ という2つの文化が現に存在していて、本来は前者の使い方をするものであったのが、日本ではいつの間にか後者の勢力が大きくなっているようだ。
_ そのためには、はてなのように、システムとしてリンクのないページからのトラックバックを受け付けない、といった方法で解決するのが(サーバー負荷の問題はあるとしても)、最善ではないかと思っている。TrackBack URL の近くに「該当エントリへのリンクのないトラックバックは受け付けていません」といった文章を書いておけば、なお啓蒙の意味合いが出てくるけど、そういうことを書くこと自体が、なんだかちょっとめざわりというか野暮ったい感じはする。でも、しかたないのだろうか。
_ 要は「言及リンクのないトラックバックをする奴は悪人だからこらしめないと」ではなくて、「トラックバックの使い方について、正しい知識を持っていない人が多いから、そういう人に正しい使い方を知ってもらうにはどうすればいいか」という方向でならば、なにか頭を使ってみてもいいと思う。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいご めんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめ んなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん なさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんな さいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさ いごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいご めんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめ んなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん なさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんな さいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさ いたつをの ChangeLogより
Categories |