こんな戦争もある(レバノン内戦)

この間、すばらしい日本女性とお話する機会があった。レバノン人と国際結婚をした仲島洋子さんである。洋子さんは縁あってジョー・アブハッサンさんと結婚するためレバノンへ行ったところ、運悪くその1週間後に内戦が始まりそれこそ筆舌に尽くせぬ苦労をされた。今は新宿でご主人とともにレバノン料理店を開いている。興味のある方は是非新宿駅西口アイランドビル地下1階の「シンドバッド」を訪ねてあげて下さい。私も1度だけ行ったことがあるが、レバノン料理は日本人の口に合いますよ。
以下は洋子さんから聴いたレバノン内戦の様子である。私の戦争体験は小学校入学前、東京練馬で近所に爆弾が落ちたのを見たくらいだが、そのころの日本は1億玉砕覚悟で国民は悲愴なものであった。レバノンは国内戦なので当然両派があり、全然雰囲気が違う。

住んでいるところのすぐ側で銃撃戦がある。西部劇を想像するのが一番近いのだろうか。しかし西部劇には大砲の弾は飛んでこないのでチョット違うのだろう。大砲の弾や爆弾が落ちてくるから、西部劇より怖いと思う。

しかし毎日銃弾が飛び交っていたわけではなく、むしろ戦争がない日の方が多かった。そういう日は見かけ上は平和である。しかし町を歩いていると突然どこかから撃たれることもあるので、銃声が聞こえていなくても町へは安心して出られなかった。

そういう訳で、前の戦争の日本、阿片戦争の清(中国)とは別のタイプの戦争だと思った。実際に体験した人のお話は真に迫っていた。


内戦が最大規模に達した1983年の正月、政府の勧告もあって洋子さんは子どもの将来のために、ジョーさんとは一生逢えなくても仕方がないという悲愴な決心をして、二人の子どもと日本へ帰った。しかし幸いにもジョーさんを日本に迎えることができた。

洋子さんはジョーさんと結婚したことを少しも後悔していない。これから21世紀に向かって国際社会で生きていくため、「日本の女性は機会があったら国際結婚をしたら」とおっしゃっていた。

洋子さんは最近新感覚の異業種交流会を始めた。「倶楽部BEAT」という名前で、会場は勿論「シンドバッド」である。 (1998.9.30記)