「愛国心」とは(愛国論その3)

カレル・ヴァン・ウォルフレンの「なぜ日本人は日本を愛せないのか」に愛国心の定義が明確に書いてある。日本人はもっと愛国心を持つべきだ、というと今の日本人はすぐ戦前の「忠君愛国」を思い出し当惑するのが大部分だと思う。忠君と愛国は別である。あるいは今の日本には「君」はいないから、忠君愛国ではなく「忠国愛国」をやれ、と言った方が分かりやすいかな。

ウォルフレンの本には、「国家主義」と「愛国心」とは違うと書いてある。これは非常に分かりやすい定義である。


最近私はある人に愛国心があるかないかが判断できる、単純明解な基準に気がついた。それは、国政選挙の投票に行く人には愛国心があり棄権する人にはそれがない、というものである。ただし投票に行く人でも、特定の候補者からお金をもらったり又は何らかの個人的利益を受けて(あるいは受けようとして)投票する人は、当然の事ながら別である。

例によってマスコミの悪口になるが、浮動票などという言葉を作り出し何故選挙に行かなかったかというアンケートをして、魅力ある候補者がいないのがいけないなどと、候補者のせいにしている。確かにその通りではあるが、もう一歩踏み込みが足りない。要するに彼らには本当の意味の民主政治を知らないのだ。そういう人に限って権利々々と自分の利益ばかり主張する。国民の最大の権利かつ義務である投票権を放棄しておいて、何が権利か。ろくに税金を納めていないのに何かというと「我々の血税を使って云々」と演説する輩と一である。


愛国心とは今の国や政治が悪い々々と言うことだけでなく、自分で国や政治をよくする行動をとることだとウォルフレン氏は言っている。
政治をよくするには良い政治家を選挙で選ぶ必要がある。しかし良い候補者が極く少ないのもまた事実だ。今の国会議員は次の選挙でも当選したくて、自分の選挙区に利益を誘導するのを第一義に考えている。これはその議員が悪いのではなく、そういう人に投票した国民が悪いことは理の当然ではないか。
「今日本が抱えている問題はこれこれだから、あなたは是非これをやってくれ。そうしたら投票する。」というような、愛国心を持つ人たちからなる政治家への圧力団体を作る人はいないのかな。昔「大日本愛国党」というのがあって赤尾敏さんが活躍していたが、それとはチョット違うような気がする。当時彼は一般には理解されず、従って私も彼の思想をよく知らないが、根本では違うと思っている。単なる「愛国党」でよいと思う。 (1998.12.30記)