人はその才を認められるのを悦ぶ

今日は三国志のお話だ。蜀の初代皇帝劉備玄徳を補佐した諸葛孔明は余りにも有名であるが、孔明と同じ位才能があったが早く亡くなったので実績を余り残せなかった人に、鵬統(ほうとう:鵬の字は本当は广だれに龍と書くらしいのだがその字が見つからないので「鵬」とする)という人がいる。鵬統(字は士元)は、関羽、張飛等強い武将ばかりで知謀の部下に恵まれなかった玄徳が人材を求めていたとき、伏龍鵬雛(ふくりゅうほうすう)として出てきた二人のうちの一人である。「伏龍」とは諸葛孔明で「鵬雛」が鵬統だ。

孔明は玄徳が「三顧の礼」で迎えたほどだったので、最初からその才に応じた地位を得たが、鵬統の場合は見掛けが悪かったのか玄徳は大したことはないと思ったのだろう、地方の村長さんといった役に就けた。そこへ赴任した鵬統は、自分の才を認められず面白くなかったのだろう、仕事は何もせず毎日昼間から酒を飲んでいたそうである。その噂を玄徳が聞き、関羽を派遣して咎めさせた。すると鵬統は直ちに、翌朝全員集まるよう村中に触れを出した。翌朝集まった村民の前で山のように積まれた訴状を片っ端から処理し、判決を次から次へと下していったのである。当時の村長には裁判所長の役もあったようだ。それらの判決は全て的確で、皆が納得できるものであった。この様子を関羽から聞いた玄徳は直ちに鵬統を呼び戻し、孔明と同列の役に就けたとのことである。

今も昔も、才能ある人がその才を生かせないような地位を与えられると、くさってしまうようだ。まあ人間の頭の構造なんて、1万年たっても変わらないんだね。


鵬統が亡くなったのは、玄徳が蜀の成都を攻めるときのことである。この時全軍で行くと背後を呉の孫権・魏の曹操に襲われそうだったので、荊州の押えに諸葛孔明・関羽・張飛・趙雲などを残していた。鵬統の立てた作戦はほぼ旨くいっていたのだが、最後の詰めのとき成都の内応者がばれて切られてしまった。そこで仕方なく孔明・張飛・趙雲を呼び寄せたのだが、鵬統は孔明が来る前に決着をつけたかったのか、偵察に出たとき流れ矢に当たって死んでしまった。孔明に対する対抗意識があったのかもしれない。
上の話は○○の三国志にあるが、陳舜臣の「秘本三国志」にはない。もしかしたら○○の作り話かもしれない。多分異本にあるとは思うが......。作り話だとしても人間の心理をついているような気がするので敢えて書いた。(1998.7.31記)
○○が誰だか忘れてしまいました。どなたか教えていただけませんか。司馬遼?海音寺?それとも他の誰か?