「もしこれが鬼神をしてなさせられたのでありますなら、さぞや鬼神はくたびれたことでござろうし、もし民になさせられたのでありますなら、民はずいぶん苦しんだことでありましょうな。」と言った。穆公は感心して問うた。
「我が中国は、詩、書、礼、楽、法度があって、これらをもって政治をなしているのじゃが、それでも時には世が乱れることがある。しかるに、戎夷には一切このようなものはないじゃろうのに、どうして政治をしているのかな。拠るべきものがないのじゃから、ずいぶんやりにくかろうな。」由余は笑った。
「お言葉ではありますが、そのようなものがある故中国は乱れるのであります。礼楽や法度は、古代の聖人黄帝が作ったものでございますが、黄帝は率先して身に行いましたので効果もあり、少しは治まったのでありますが、後世になりましては、上にあるものは自らは日に乱れ傲(おご)って法度を楯にとって下々を責めてばかりいますし、下々は下々で少し苦しければ上は仁義を施してくれそうなものだと期待して怨み墳ります。つまり上と下とは敵対の関係となって、最も露骨な我欲のむき出し合いであります故、王家から諸侯の家まで争いがやむことがないのでございます。これはすべて、礼、楽、法度を頼みにして、これを抑えつけようとしているからでございます。」
「これに反しましてわが戎夷は、君位にある者は清くすなおな徳をもって下に対し、下の者は真心をもって君に仕えていますので、一国はこの一身のごとく、どうしてその日その日が健やかに過ぎて行くのか分からないように、どうして国が平和に治まっているのか分からないのであります。これこそいわゆる聖人の無為の政治というものでございましょうな。」
この際無為がよいのではなかろうか。そしてすべての税金を半額にする。公務員の給料も勿論半額だ。そして諸葛孔明、あるいはルーズベルト(1929年の大恐慌から脱出して、アメリカの繁栄の基礎を作った大統領)が出てくるのを静かに待つのである。