自虐意識脱却の時 ・ 誇り持ち国際貢献を(愛国論その7)

----南京事件の事実は直視----

前回の繰り言、「侵略でもない、進出でもない、対露防衛である。」には少なからぬ読者が首をかしげたと思うが、その趣旨をもっと穏当な表現で判りやすく解説した記事を紹介する。2000年の7月3日付け読売新聞朝刊「地球を読む」欄の、南京事件を例にした岡崎久彦氏(博報堂特別顧問)の論文がそれで、以下に全文を写す。この記事は発表しようかどうか長い間迷っていたのだが、最近の教科書問題で韓国・中国のあまりにもあつかましい態度に腹を立てここに掲載する。

論文は長いので結論部分を紹介すると、

他の先進国より良いというと反発もあろうが、ただ一つだけ誰も反論できない事実を述べる。現に、主要国の大都会で女性が夜中に安心して独り歩き出来る都市が日本以外にあるだろうか。しかもそれは戦後の平和な日本に限らない。戦争中も、戦前も、江戸時代でさえそうだった。日本人の遵法精神と規律正しさの特性について、日本人は誇りを持ち、それを国際社会における行動に示して良いのである。
即ち、日本人はもっと誇りを持って欲しい、というかねてからの私の主張と一致する。以下岡崎氏の論文である。(2001.5.18記)

敗戦を上回る衝撃

南京事件とは一体何なのであろう。

昨年の日韓、日中の首脳会談の様子から見て、戦争の過去の問題は、急速に政治、外交の議題から遠ざかりつつあると言える。かって、日中間の南京事件と並んで、日韓間の大問題であったいわゆる従軍慰安婦問題などはもう口の端にものばらなくなった。

しかし南京事件はいまだに残っている。

中国系米国人アイリス・チャンさんの著書『レイプ・オブ・ナンキン』は30万人の虐殺を記述している。この本は歴史書というよりも、やや猟奇趣味的な大衆読み物であるが、それがベスト・セラーとなって新たな反日イメージを作り出し、カリフォルニアの戦時補償訴訟問題などの心理的背景ともなっているのが問題であり、これに反発する日本の言論の中には、南京事件全体を虚構とする論もあり、これらをめぐって双方の作用反作用がまだ続いている。

南京事件は虚構である---より正確に言えば、どの都市の占領当初にもあるような混乱、暴行以上のものはなかった---という論は奇矯なようであるが、それなりの理由はある。

問題は東京裁判から始まる。日本人一般に南京事件が広く知られたのは、東京裁判が初めてである。それまで、日本の軍隊は武士道精神の下の世界一、規律正しい軍隊であると信じてきた日本国民にとって、それは敗戦そのもの以上に、日本人の自らの国家と民族に対する信頼に打撃を与えたのである。

それが戦後の日本人の精神構造に深い影響を与えたという意味において、今でも日本の思潮の中に東京裁判に対する反発があるのである。

現在の平和な世の中になって、東京裁判は公正な裁判ではなかったと、その瑕疵を拾う事は大学の法科の1年生なら誰でも出来る事である。裁判管轄権、裁判官の適任性、法の不遡及、共同謀議の法理等々、ありとあらゆる法的不備を指摘し得る裁判であった。

もっと常識的にわかり易く言うと、平時ならば一人の殺人犯を裁判するのに二年はかかり、まして死刑にまで到達するにはその何倍もの時間がかかるものを、28人の被告の過去15年の行為を2年半で裁いて、そのうち7人を死刑にすることが瑕疵のない公正な裁判で出来るはずがない。裁判の形式的な手続きを全部ふんでいる分だけ、実質的な内容が空疎だという事も出来る。

そんな条件で出来る唯一の方法は、まず検事側のシナリオを書いて、それに口裏を合わせる証言だけを集め、ついで弁護側の証言、証拠を却下し、ほぼ当初のシナリオに沿った判決を下すほかはない。誰がやってもそれ以外の方法はないであろう。

南京事件の被害者は20万人以上と断定しているが、信頼すべき証人が目撃した事実を集計してこんな数字が出せるわけもない。どうしても伝聞と推測に頼らざるを得ない。

平時の裁判ならば、現在アメリカで活躍しているような有能な弁護士が一人居れば、証拠不充分を理由に、中立公正な裁判官に対して南京事件の実在を否定させるのは、そう難しい事ではないであろう。

歴史と裁判、別次元

そもそも歴史と裁判とは違う。歴史はあくまでも公正客観的な事実に基づかなければいけないが、裁判では、お互いに自分に有利な事実だけを拾って来て争う。

両者の間に公正なチェック・アンド・バランスが確保されれば良いが、占領者と敗戦国の間に公正なバランスがあるはずもない。そうした不公正さが、その後の歴史観にまで及ぼした傷跡が今でも問われているのである。

しかし他面、裁判の不備と歴史とは別の事である。南京事件については、時の外務省の石射猪太郎、参謀本部の堀場一雄、中支方面軍の松井石根という当事者たちが多かれ少なかれ、それを認めて言及している。

裁判の次元では、部下からの報告も厳しく言えば伝聞となるかもしれないが、複数責任者の回想が一致していれば、歴史としてはそれで十分である。

規模の問題は、この論文の問題意識から言って論ずる実益が疑わしい。東西の歴史で、100人の虐殺暴行があればもうマサッカー(大虐殺)として通用する。20万、30万が荒唐無稽な事は常識で明らかであり、それに対する反発は十分理解できるが、だからと言って、マサッカーが無かったと言えば、歴史を誤る。

繰り返さぬと三戒

どうしてそういう事件が起こったのだろうか。伝統的に日本軍は規律厳正であった。欧米列強と日本軍が肩を並べて戦った例である、1900年の北清事変の北京占領に際し、ヨーロッパ勢が乱暴掠奪をほしいままにしたのに対し、日本占領地は安全と知って市民が大量に流れ込み、地域外の民家は軒毎に日章旗を掲げて身を守ろうとしたという。

当時日本は不平等条約改正の最中であった。帝国主義間競争の真っ只中、米欧白人諸国はそれぞれ30〜40%の高関税で自国産業を保護育成している中で、日本、清など有色人種国家に強制された関税は一律5%であった。この改定のために、日本人は白色人種以上の文明国である事を示さなければならなかった。

日中戦争当時、もうその緊張感はなかった。ただ、それならば他の都市でも同じ事が起っているはずであるが、その後占領した漢江でも広東でも戦闘や砲爆撃などによる戦争に不可避の一般人の被害はあっても、南京事件に類するような事件は全く起っていない。

盧溝橋事件後真っ先に占領された北京では、軍は規律厳正で、北京の文物は完全に保護され、北清事変の掠奪暴行の記憶がまだ残っていた市民の間から、占領軍の池田純久司令官の銅像建設の運動さえあったという。

それではどうして南京では事件が起ったのだろう。一口で言えば、戦争ではそういう事も起り得る、としか言いようがない。

東西の歴史で、征服が平穏に行われた例も、恐るべき殺戮を伴った例もあり、すべてその時の環境による。南京占領に似た例としてはソ連軍のベルリン占領がある。両方ともこれで戦争が終わった----南京はそうでなかったが、兵はそう信じていた----という開放感があり、ソ連の場合はナチスの暴虐、日本は通州事件など、それまでの怨恨をここで果たすという報復感も手伝って、無礼講の雰囲気があった。加えて、行政当局者は皆逃げてしまって、全くの無政府状態だった点も同じである。それに加えて、南京の場合、日本側の事情としては、それまでの戦闘で一般市民の服装でゲリラ戦をする便衣隊に悩まされたため便衣隊狩りをした事もあった。そして、これは明らかに国際法違反であるが、どの国のどの戦場でも起ることとして、勝った側に、捕虜を受け入れる任務遂行上、あるいは精神的余裕がない場合、「捕虜を取らない」という事例も起ったようである。

南京事件が実在したことは、逆にその後の日本軍の行動から証明できる。南京の次の漢口攻略に際し、司令官岡村寧次は南京事件を繰り返すまいと厳正な軍紀を維持させた。岡村はその後やがて全支那派遣軍の総司令官となるが、その間を通じて一貫して、「焼くな、犯すな、殺すな」の三戒の下に軍紀の維持と愛民につとめた。

敗戦時中国大陸には百数十万の軍民日本人がいたが、一部の混乱はあってもほぼ全員平穏に引き揚げた。恨みに報ゆるに恩を以ってする、という蒋介石の方針もあったが、もし日本軍が中国人民全体の怨嗟の的だったならばとてもこうは行かなかったであろう。

戦争反省する糧に

日本軍が惜しまれながら去った所もあったなどというと反発もあるであろうが、それは事実だと思う。辛亥革命以来、中国内の軍閥、土匪の暴虐は凄まじいものがあり、その実体は、----あるいはプロパガンダのために誇大になって----中国共産党の公表文書の中に詳しい。

南京事件後、7年余り規律厳正であった日本軍のあとに、どんな軍閥、土匪が入って来るかわからない、そう思っただけで日本軍が去るのを不安な気持ちで見送ったとしても何の不思議もない。

さて、この事件からわれわれはいかなる歴史の教訓を学ぶべきであろうか。

まず、日本人も戦争の異常な環境では獣性に戻ることもある事を知った。日本は単一民族国家であり、国内の戦いでは一般市民の虐殺は経験していない。一向一揆や島原の乱のような宗教にからむ戦争では老若男女皆戦闘員と見なされるから例外として、殺戮は相互の戦士同士の間だけだった。それと北清事変の記憶もあり、日本人だけは残虐性から遠い人種と国民は信じていた。

しかし南京事件では、日本人も特別な人種ではなく、戦争の雰囲気に流される、人間の弱さ(ウィークネス)のある普通の人間である事を認識させられた。それは、今後日本人が他民族に対して公正な考え方を持つためにも、他民族に寛容となるためにも、また戦争というもののもたらす罪悪を改めて反省するためにも有益だと思う。

他方、戦後長きに渡って日本人の矜持を傷つけた自虐意識からは脱却すべきである。

戦後教育を受けた日本人の多くは、日本軍は中国で陵辱と暴虐のかぎりを尽くし、南京事件はその代表的な例だと信じている。

しかし、南京事件後7年余の中国占領軍の行動は、占領に必ず伴う一部の越軌暴行はあっても、他の文明諸国軍隊と較べて特に劣るものではないと言って良い。一つの例として、日本で占領していた都市と、占領日本軍の連隊所在地の都市とが、戦後姉妹都市になった例もあるという。ドイツが占領したロシア諸都市、米英仏が占領したドイツ諸都市と占領軍の本拠都市との姉妹都市など想像も出来ない。

日本人は、北清事変以来の日本軍隊が、少数の例外はあっても、総じて世界で最も規律の正しい軍隊だったと誇りを持って良い。そういう自尊心を持つ事は、今後の日本人の行動に矜持と節度を与えることとなり、それが日本の近隣諸国にとって望ましいことである

他の先進国より良いというと反発もあろうが、ただ一つだけ誰も反論できない事実を述べる。現に、主要国の大都会で女性が夜中に安心して独り歩き出来る都市が日本以外にあるだろうか。しかもそれは戦後の平和な日本に限らない。戦争中も、戦前も、江戸時代でさえそうだった。日本人の遵法精神と規律正しさの特性について、日本人は誇りを持ち、それを国際社会における行動に示して良いのである。