捏造された日本史
黄 文雄 著 日本文芸社
(例によって目次のみ掲げます)
第1章 大中華帝国VS大日本帝国の激突
---日清戦争後、改革維新を決意した清国---
- 日本の台湾出兵で琉球の帰属問題が決定づけられた
- 中国の「明史」では台湾は日本に所属する
- 盗んだのではなく、国際条約で日本領となった台湾と千島・樺太
- 日清戦争は中華帝国が起こした日本への懲罰戦争だった
- 日本の明治維新を易姓革命ととらえた清国
- 朝鮮の独立と属国化を巡って日清の対立
- アジア最大の清国が日本に敗れた理由
- 日清戦争は中国私兵と日本国民軍の戦い
- 日本軍が北京を落城させず保全した理由
- 中国の戊戌(ぼじゅつ)維新は明治維新の焼き直し
- 日本を尊敬し日本に学んだ中国人
- 最後まで清国維新に賭けた光緒帝
- 清国宰相としてスカウトされかかった伊藤博文
- 伊藤博文の維新派への接近に震撼した西太后
- 日本の制度をコピーするしかなかった清国
- 中国の貴重な伝国の財宝を略奪から守った日本軍
- 拳法と呪術で西洋に対決した義和団事件
- 日本初のPKOは義和団事件のときだった
- 義和団事件後、北京庶民の守護神となった柴五郎
- 治安を守り略奪を阻止した日本軍の誇り
- 北京に近代的警察学校の基礎を作った芝五郎
第2章 日本のロシア南進阻止と満洲国建国の真相
---「五族協和」と「王道楽土」の夢はなぜ破れたか---
- 日本の国家意志決定を左右し続けてきたロシア南進の恐怖
- 陸の覇者ロシア帝国の膨張主義
- 日本の歴史はロシアの脅威で動かされた
- 日本は朝鮮半島を中国とロシアの併合から守った
- 朝鮮を中国の属国から独立させた日本
- 台湾領有時ほどの抵抗を示さなかった日韓併合
- 日露戦争は世界史の流れを変えた
- 日本の勝利は白人優位の観念をくつがえした
- ユーラシア大陸を単騎走破した諜報将校・福島安正
- 欧亜大陸1万4000キロを走破
- 日本の勝利を導いた裏の情報収集
- 日露戦争で中国のロシア化は阻止された
- 中国東北部から南進するロシアを阻止した日本
- 立憲国家の日本が専制君主国のロシアに勝った
- あまり知られていない満洲の歴史
- 支配する民族が入れ替わった満洲の地
- かつての万国法の基準では「無主の地」だった満洲
- 満洲荒野の開発は移民同士の競争で行われた
- 満蒙民族が愛した森と草原を荒野にした漢民族
- 日本は漢民族の大量流民に圧倒されて負けた
- 奉天軍閥と日本の関東軍による満洲支配をめぐる争い
- 馬賊出身の満洲軍閥・張作霖爆殺の背景
- 奉天軍より日本軍が民衆に支持された
- 孫文は日本へ満洲売却交渉をした
- 満洲を日本へ2000万円で売ろうとした孫文
- 孫文も蒋介石も日本の満洲・蒙古の権益を認めていた
- 満洲国の「王道楽土」の夢に賭けた石原莞爾の無念
- ソ連の南進とアメリカの西進を防ぐ構想
- 中堅将校たちに踏みにじられた石原の不戦論
- 満洲国は中国流民の桃源郷(パラダイス)だった
- 百年後の租税まで取り立てた地方軍閥
- 外国人管轄の租界地はパラダイスだった
- 満洲における日本植民地と中国植民地の比較
- 漢民族の大量移民で先住民の土地を略奪
- 日本経営下の満洲の安定を激賞したラモント代表
第3章 東京は中国近代革命の基地だった
---中国が師を西欧から日本に切り替えた時代の真相---
- 中国の近現代史は東京でつくられた
- 中国の維新派志士を救った日本の志士と政治家たち
- 維新派、革命派の支援活動に奔走した日本人志士
- 日本でくりひろげられた立憲派と革命派の明争暗闘
- 1000人規模で開かれた支那留学生の政治集会
- 孫文を「犬の遠吠え」と辛辣に批判した梁啓超
- 生涯を「支那革命」に捧げた宮崎滔天の気骨
- 孫文に尊敬された支那浪人の宮崎滔天
- 孫文の「民生主義」の母体となった「平均地検権」の出処
- 生涯を支那革命に捧げ、赤貧に生きた宮崎滔天
- 支那革命と日本革命を同一視した革命理論大師・北一輝
- 孫文を詐欺師とみていた北一輝
- 北一輝にショックを与えた革命家・宋教仁の暗殺
- 支那革命に青春を賭けた熱血小説家・山中峯太郎
- 東京で結成された孫文一派だけの中華革命党
- 中国の革命に多くの日本人が命を捧げた
- 孫文はなぜ頭山満を最も尊敬する日本人と語ったのか
- 孫文にとって大恩人の頭山満は義侠心の明治男
- 玄洋社の活動を中国侵略とするのは歪曲
- 近代中国軍を育てた日本陸軍士官学校出身の清国留学生
- 清国の日本陸士出身留学生の大多数が革命派の将校に
- 近代中国の運命を左右した日本陸士出身の将軍たち
- 中国に近代社会のつくり方を教えた日本人
- 師を西欧から日本に切り替えた改革開放運動
- 張作霖の爆殺まで軍事顧問をつとめた町野武馬
第4章 捏造された悲劇の日中戦争史
---無政府状態の中国側の挑発に翻弄された日本軍---
- 中国という巨大なブラックホールに吸い込まれた日本
- 1億9000万円の借金を踏み倒された西原借款
- 日本は中国知識人の反日運動の挑発に乗せられた
- 中国を内乱の泥沼から救ったのは日本の大陸進出だった
- 毛沢東も感謝した日本の大陸進出とは皮肉なのか
- 国際政治に混乱をもたらせた無政府状態
- 最大の軍事大国・中国が第8位の日本に負けたわけ
- 大陸全土が雑軍の武装集団に満ちていた
- なぜ10倍もの中国軍に連勝していた日本が敗戦国
- 時代とともに日中戦争の犠牲者が増えていく数の怪
- 中国側の戦争犠牲者の多くは中国人同士の内戦によるもの
- 中国側の犠牲者1000万人はまったく根拠がない
- 有史以来、戦争は中国にとって文化だった
- 日本軍の戦争様式には皆殺しや略奪はなかった
- 残酷な「三光作戦」は日本軍でなく中国軍のお家芸
- 「南京大虐殺」は王朝崩壊期に繰り返された恒例の祭事
- 中国の伝統的文化だった大虐殺のケースは日本にはない
- 南京大虐殺の証拠写真は中国の「万人塚」
- 中国の伝統的虐殺文化を日本人にはマネできない
- カイロ宣言は草案を書いただけで宣言はしていない
- なぜカイロ宣言は署名されなかったのか
- 日本が受諾したポツダム宣言は条文として不完全
- 御都合で常にころころ変わる中国の歴史認識
- 売国奴・汪精衛は愛国者に変わりつつある
- 死後、蒋介石によって墓を暴かれた汪精衛
第5章 日本の植民地経営にみるアジアへの貢献
---収奪だけの中国式統治と殖産興業・インフラ整備の日本式統治---
- 日本は植民地に人類境遇の改善と拡張を考えていた
- 日本の植民地経営は農耕型だった
- 日本の台湾、朝鮮、満洲進出は英連合王国の発展に似ている
- 日本の植民地統治下での台湾、朝鮮の違い
- 「難治の民」台湾と「従順の民」朝鮮
- 想像以上に優遇されていた日本統治下の朝鮮
- 「日帝36年は植民支配というより合邦国家」
- 朝鮮を奴隷なみに扱っていた清国
- 日韓には連合国家として併合するよりなかった
- 台湾から見た日本と中国の植民地統治の違い
- 中国の植民地支配は収奪と自由の拘束
- 日本の植民地経営は産業投資とインフラ整備で産業育成
- 日露戦争の英雄・明石元次郎総督の骨はなぜ台湾に埋葬されたのか
- レーニンを承伏させた明石大佐の弁舌
- 今日でも高く評価される大型発電所とダム建設
- 遺骨が台湾の土となっても魂が土地を守る明石精神
- 台湾近代化の父・後藤新平の台湾経営とその遺産
- 台湾の旧習と民情を考慮した日本の統治
- インフラ整備に狂奔した能吏・後藤新平
- 台湾に東洋一のダムを建設した八田与一の執念
- 苦難のすえ完成した巨大ダムは今日も台湾の大地を潤す
- 夫の死と敗戦で殉死した八田夫人
- 戦後台湾を支配した中国人の日本人追放は甚大な損失だった
- 台湾で神様になった日本の軍人と警察官
- 守り神のように慕われ親しまれた日本人警官
- 台湾に寺子屋を建て教育に尽くした森川巡査
- 「日帝36年」の朝鮮統治で日本は何をしたのか
- 経済破綻の大韓帝国を救い、工業社会を発展させた
- 朝鮮総督府の憲兵・警察制度は汚職防止と治安維持に役立った
- 近代教育の普及に大きく貢献
- イギリスの植民地・香港はなぜ東洋の真珠になったのか
- 不毛の島から商業・金融の中心地に
- イギリス植民地の環境があってこその繁栄
- 沈んでいく返還後香港のシナリオ
- 中国政府の下では香港の個性は消える
- 中国政府が香港を食いつぶす
- 民族と階級から見た植民地主義と社会主義、その理想と現実
- 思想の類似性が見られる植民地主義と社会主義
- 民族と階級の開放をなしえなかった植民地主義と社会主義
第6章 「共存共栄」から「自存自衛」に追い込まれた大東亜戦争
---東南アジア諸国の独立に命を捧げた日本人義士たち---
- 日本のアジア主義は脱亜入欧への回帰現象?
- 新時代に適応しない中国・朝鮮に見切りをつけた日本
- 日本を盟主とするアジア主義の台頭
- 東亜の解放はただのスローガンだったのか
- なぜアジアで日本軍の白人追放だけが侵略なのか
- 自国の利益のための領地獲得は列強諸国の常識
- 日本軍は西欧植民地支配の代理人・華僑を粛清して東南アジアで歓迎された
- 東南アジアで嫌われてきた白人植民地の番頭・華僑
- 日本の戦争責任を問うのは一部の華僑と日本のマスコミ
- アジア各国の独立に命を捧げた日本人義士たち
- ビルマ独立を支援した鈴木啓司大佐の南機関
- 日本が組織したインドネシア義勇軍は独立戦争の主力に
- マレー(マレーシア)にナショナリズムを育てた日本軍
- インドの織田信長・チャンドラ・ボーズと日本軍
- 東京に安置されているインド建国の祖の遺骨
- 日本はインドの独立を30年も早めた
- 大東亜戦争がアジア民族の独立に自信と力を与えた
- 内部抗争が頻発するアジア諸国への支援は困難だった
- 日本を除け者にした欧米中心の世界秩序
- 日米最終戦争(大東亜戦争)はやはり回避できなかった
- 日本の「自存自衛」のために戦った日米決戦
- 「窮鼠」猫をかんだ日本のアメリカへの逆襲
- それでも大東亜戦争は自存自衛の戦いだった
- 中国の内紛に引きずり込まれた日本軍の不覚
- 日本は戦争の道を進むしかなかった
- 日本の和平努力はなぜ実らなかったのか?
- 日本の対中和平交渉は中断することなく続いていた
- 必死に不戦不拡大に努めた日本政府
- 日本の和平交渉は好戦的中国に通用しなかった
- ソ連を介した和平工作の大なる誤算
- 対米戦争終結工作の苦悩
- 条約履行に忠実な日本、ソ連の策謀で和平ならず
- 戦争と平和を決めた終戦の御聖断の真相
- 敵国米大統領の死に弔意を表した日本の武士道精神
- 全閣僚ともに従った御聖断
第7章 平和国家日本の妄想と迷走
---歴史に善悪論を持ち込み、都合で書き替える中国の歴史観---
- 極東軍事裁判で松井石根大将と岡村寧次大将の命運を分けたもの
- なぜ戦犯第1号の岡村総司令官は無罪放免になったか
- 中国統一・支那革命の熱烈なる支援者・松井石根大将が死刑
- 戦後に人民解放軍の台湾侵攻をくいとめた根本博中将の機略
- 巌島合戦の戦法を応用した金門島の大勝利
- 根本中将は蒋介石への義理を果たした
- 国民党の「白団」は共産党「紅軍」に対抗する旧日本軍将校の組織
- 旧日本軍に頼って強力な国民党軍部隊を再生
- アメリカ軍方式でなく旧日本軍方式を採用
- 日本軍が去ってアジアに内戦の嵐が吹き荒ぶ
- 大東亜戦争の死者を上回る凄惨な戦後のアジア内戦
- アジア人同士の殺し合いは近代国家誕生の必然的陣痛
- 靖国神社参拝に関する外国の批判を日本は受け入れるべきではない
- 一国の信仰まで干渉することは宣戦布告とみるべき
- 他に例のない他国の戦没者慰霊への妨害・干渉
- 逆賊の霊まで合祀する日本の寛容な精神こそ平和国家の理念
- 教科書干渉への甘受は日本政府の死に至る病
- 中国の歴史は常に捏造の繰り返しだ
- 外国からの歴史観の押し売りは断わろう
- 日本にはびこる一国平和主義と念仏平和主義
- アジア諸国の全戦争責任を一身に背負う謝罪は誇大妄想だ
- 武器を持たなければ安泰と思い込む平和ボケの愚かさ