技研ニュース1986年3月号掲載記事
(鉄道技術研究所 所内誌)

室長と30分

関 さん (情報システム研究室)

◆この度、室長ご就任おめでとうございます。これからの室長さんの役割など・・・

  公共企業体から財団法人へのつなぎの時代に研究室長を拝命して責任を感じております。就任時、研究室の皆さんに方針といっては大げさですが三つのことを申し上げました。一つは偉大な先輩方がつちってきた研究成果、伝統を継続すること。二つ目は、先に申しましたつなぎの役目です。今までのもので続けるものは続け、終えるものは終える。芽になるものは育てていくということです。三番目は、人の和です。こういう時代は研究所全体も暗くなりがちなので明るくやっていく。これは非常にむずかしいことですがね。

◆これまで、コンピューター関係の仕事が多いようですが、思い出など・・・

  最近、宅急便の歌い文句に、送った荷物が何処にあるかがコンピューターですぐ分かります、というのがあります。貨物についてそういうシステムを20年前に提案したんですが、結局、貨物全部を管理するシステムは出来なかったです。今から思うとあの時我々が提案したシステムが実現していたら・・・と残念ですね。

見習いで本社電気局にいたとき、本社の「貨報」の集計印刷をコンピューター化するシステムを担当しましてね。記憶容量が2000語という、今では信じられない小さな計算機の機械語で、数十種類の貨報を統一的に扱える汎用プログラムを作りました。そのとき、二、三ヵ月間毎日のように夜の11時頃まで超勤しましたね。超勤手当をたくさんもらったことを覚えていますよ(笑い)。

昭和48年から2年間、東二電工で東北・上越新幹線対応コムトラックを担当しました。すでにコムトラックは、50年3月の博多開業に向けて大勢の人が作業をやっていましたが、それが終ってからでは、開業に間に合わないということで新しいチームを作ったわけです。ところが東北・上越新幹線の開業予定がつぎつぎと延びて、50年3月の技研転勤のときには、54年3月になってしまいました。2年間いてちょうど2年開業予定がのびたので博多開業の人たちが終ってから始めても間に合うようになったわけで、がっかりした思い出があります。

◆研究室の親睦などは・・・

  うちの研究室は、長澤前室長(現企画室長)時代から盛んですね。昨年の夏、研究室の親睦会主催で奥多摩に家族同伴の「ますつり大会」に行きました。お子さんたちや奥様方も何人かきまして盛会だったですね。これからも家族参加の企画は続けたいですね。

研究室内での大小の親睦会はしょっちゅうですよ(笑い)。嫌いな人もいるでしょうが、大勢の人が参加して楽しめるのは、酒の席が一ばんではないでしょうか。

◆趣味とか健康法などは・・・

  5年ぐらい前から、健康上の理由でテニスをやっています。食餌療法と運動療法のうち、私は運動療法にしましたら効果がありましてね。40歳を過ぎてから始めたんで、うまくなるわけはないんですが、へたはへた同志でやれるのがいいですね。

それと、将棋は昔から好きでしてね。学生時代に少々。将棋の方は普通の人の中では強い方ではないでしょうか。家の近くのテニスクラブに入っているのですが、テニスで負けると将棋でやっつけるわけですよ。テニスクラブに行って将棋で威張ってもしょうがないんですがね(笑い)。

最近、陽明学など中国の思想の勉強をしたいと思っています。西洋の学問は物が中心ですが、東洋の学問は心を問題にします。こういう激動の時代に、心の問題を考えるのも大切かと・・・