「小峰 君の思い出」(松本 健)

小峰君とは高校2年で同じクラスになり、知り合いました。濃い髭の「いかつい顔にやさしい目」、まさに当時流行ったライフルマンのような印象でした。天才が多いクラスの中で、彼は中庸を得てとっつきやすく山歩きの趣味なども共通して、すぐに親友になったのです。

卒業後何回か山歩きを共にしました。最初は卒業してすぐの北八ヶ岳です。同級生数人と蓼科から反対側の佐久に抜けたのですが、日帰りのはずが時間オーバーでバンガローに泊まった記憶があります。このとき彼は女性を連れてきたのですが、この女性は奥さんになった人ではなかったようです。(クラスメート?)

奥さんの話は後日告白されます。このとき僕はカラーフィルムというものをはじめて使った記憶があります。出来あがった写真はあまり綺麗でなく、何やら青みがかっていまから考えると品質の悪いものでした。

彼との最も印象に残っている山行は戸隠、笹ヶ峰高原から黒姫山を経て妙高山に行ったときです。なぜかこのとき見た光苔の光る様子が未だに僕の脳裏に鮮やかなメモリーとして焼き付いてます。笹ヶ峰高原の白樺林の鮮やかな新緑、お花畑は百花繚乱、天気は最高のピーカンで、妙高山の外輪山を超え、ピークに立ったときの景観の素晴らしさが鮮やかによみがえります。


さて東大農学部を出た彼は社会人として木材商社の木下商会(産商?)へ入社したのですが、まもなく同社は三井物産に合併され彼も自動的に移籍しました。移籍直後は仕事が無かったらしく、毎日映画を何本も見て時間をつぶしていると言っていました。

そんなある日、築地にうまくて安いフグ屋があるので行かないか、ということになり夕食を共にしたのですが、この席で後に奥さんになった人のことを告白されました。その女性は彼の従姉妹で幼馴染、話し振りからいかにもぞっこん惚れ込んでいる様子が窺われたものです。これを最後に僕の方が地方出張、所謂ドサ廻りばかりで会うチャンスがなくなってしまいました。今にして思えばこの時が彼との最後の晩餐だったのです。

その後も手紙のやり取りはずっと続いていましたが、現地法人の木材会社の役員としてカナダに渡った後も、ことある毎に綺麗な絵葉書に近況をしたためて送ってくれました。そこには風光明媚な森と湖と囲まれた、僕にとっては夢のように思える彼の生活環境が綴られていました。

彼は遂にガンで倒れることになるわけですが、こんな理想的な環境の中にあってもやはり病魔には勝てず、一方僕の方はといえば、スモッグと塵埃にまみれた劣悪な環境下、未だにしたたかに生き延びているのも運命なのか、と感無量の思いです。


法要の席ではじめて奥さんにお目にかかり、お話しを聞いて、本当に彼の語っていたような理想の女性であり、且つまた、相思相愛の理想のご夫妻だったのだと感じ入りました。

妻を愛し、モーツアルトを愛し、ギターを愛し、読書を愛した静かな彼の生涯は、彼の人柄をそのまま反映した理想的な一生だったのではないかと思えば、病のため早逝したことと運命のパッケージとして相殺できるのかな........。

そう思わなくてはやりきれない思いが募ります。いつまでもご冥福をお祈りしています。(終わり)


松本 健
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