小峰 喜世宏 君の死

小峰君は平成元年(1989年)8月18日、アメリカ西海岸シアトルの近くの町でなくなった。50才であった。

実はその月の26日から31日まで、私の初めての海外出張予定(サンフランシスコでの国際学会に参加のため)があったので、予めこの1週間の予定を記した手紙を出しておいた。シアトルとサンフランシスコではかなりの距離があるが、小峰君のことだからきっと私に会いに来てくれるに違いない、という甘い希望を書いたものである。

ところが出発直前奥さんから国際電話がかかり、小峰君が亡くなったという。本当にびっくりした。私が出した手紙は着いてはいたのだが、彼はその時もう危篤状態で、その内容を彼に伝えることはできなかったとのことであった。

サンフランシスコに着いた最初の晩奥さんに電話をかけ、約30分間小峰君が亡くなる前後のお話を伺った。細かいことは省略するがガンである。彼ら夫妻には子供がいない。生前彼がいかに奥さんに優しかったかというお話を聞き、もらい泣きをしてしまった。

出発前には、学会をさぼって是非小峰君のお宅に伺い線香の1本でも、と思っていたのだが、当時の私の英語力では飛行機の予約とかその後の行動に自信がなかったため、遂に伺えなかった。あの時行けばよかった、英語なんかどうにかなったのに、と今は悔やんでいる。


そんなことが縁になり、その後しばらく奥さん(洋子さん)と文通をした。最初は割と頻繁に、それから年1度のクリスマスカードの交換、今では3年に1度くらいになっている。私が書いた般若心経の写経とか、私の結婚式に小峰君がしてくれた祝辞のテープなども送った。奥さんの手紙を並べてみると、精神がどんどん立ち直っていく様子が良く分かる。今ではすっかり立ち直り、地域社会にもとけこんでお元気に活躍されているようだ。一生アメリカで暮らす積もりであると、当時はおっしゃっていた。