日本にはもと王があって、その臣下では関白というのが一番えらかった。当時、関白だったのは山城守の信長であって、ある日、猟に出たところが木の下に寝ているやつがある。びっくりして飛び起きたところをつかまえて問いただすと、自分は平秀吉といって、薩摩の国の人の下男だという。すばしっこくて口がうまいので、信長に気に入られて馬飼いになり、木下という名をつけてもらった。
上の話を読めば、それが如何に出鱈目であるかは今の日本人なら直ぐに分る。しかし、全て出鱈目かというとそうでなく、所々正しい。たとえば信長が明智に殺されたのは事実である。
というわけで、魏志倭人伝の信頼度も上記明史日本伝と同じようなものである、というのは極く普通の考え方であろう。それなのに前の大戦後、古事記・日本書紀は出鱈目な神話で、魏志倭人伝が正しい歴史であるとして、多くの人が魏志倭人伝の研究をしその成果を発表した。単行本だけでも相当に出ている。恐らく100に近いかそれを越えているのではないだろうか。
魏志倭人伝の研究をしてきた人は、大部分上に述べた考えには反対であろう。自分の人生を否定するようなものだから、それは当然である。ともかく、歴史は矛盾に満ちた複数の文献を自由に解釈できるから楽しい。大いなるロマンであると思う。
魏志倭人伝・古事記・日本書紀の記述の信頼度は、同じ程度であると考えて、新しい解釈は出来ないものであろうか。それぞれが、全く出鱈目ではなく事実を脚色・抽象化して記述してあると考えるのである。
私は小学校だか中学で魏志倭人伝の話を初めて聞いたとき、卑弥呼は天照大神ではないか、と直感的に思った。卑弥呼が死んで天下が乱れたことを天照大神が天の岩戸に隠れたことに対応させるのである。そうすると邪馬台国は高天原であるから、即ち日向の国にあることになって、その数代後に神武天皇の東征があり、つじつまが合うだろう。
今日は、ちょっとロマンチックな気分に浸ってみた。 (2001.6.9記)