の三菱電機時代の職歴
- 1987.4.1
入社。情報電子研究所(在大船)計画部に配属。
- 1987.9〜1989.7
BTRON教育パソコン開発プロジェクト参加。
初等・中等教育にパソコンを入れる際の、OSをどうするかという話で、BTRONを主張する松下電器陣営に入り、MS/DOSを主張する日本電気に対抗したが外圧の関係もあり敗退。その後世の中はMS/DOS全盛時代に入った。
- 1989.8〜1990.11
開発試作部に移りEOA開発運用プロジェクト参画。
バブル最盛期に当たっており、大規模な起業費の要求をした。このプロジェクトは現在の開発支援部情報システムGに引き継がれている。
- 1990.11〜1993.3
システム技術開発部。
株式会社日本電子化辞書研究所(EDR)へ50%出向。
- 1993.3〜
計画部に戻る。輸出管理事務局、ネットワークセキュリティ、社外委員会等(EAGL)担当。
- 1995.6.29
社内大組織改正により、計画部は情報技術総合研究所開発支援部となり現在に至る。
95年7月よりホームページ作成をも担当。三菱電機社外向けR&Dページ、95年度研究所社内公開紹介ページ、開発本部イントラネットなど多くのプロジェクトに関わる。社内技術メモとしてWWWに関する経験談を書き、それをイントラネットに公開。表紙・目次のみを印刷し関係個所に配布したが、これはおそらく三菱電機の史上最も薄い「技メモ」だった筈である。
- 1997.8.1〜1999.1.31
科学技術振興事業団科学技術情報事業本部(JST.JICST)へ出向。
出向時のメールによる挨拶状
- 1999.2.1
ヒュー・マネジメント・ジャパン株式会社へ出向
- 1999.3.31
定年退職。
送別会に出てくれた淑女たち[GIF:51kB]
EOA = Engineering Office Automation
EOAオープンセレモニー
日本電子化辞書研究所(EDR)
- NTTの株売却利益を主たる財源とした基盤技術開発センターと、関係メーカ8社が出資したコンピュータが理解可能な大規模辞書の開発プロジェクト。1995.3終了。成果である辞書は三菱電機も購入し、私も一度使用した。とにかく矢鱈に語数が多いのが特徴である。EDRはその後継事後整理会社が1998年現在も存続している。
BTRON
- 東大坂村先生提唱の90年代OSである有名なTRONに一つ(Business TRON)。BTRON、CTRON、ITRON、MTRONとあったが、最近はJTRONもある。